500人を養子として受け入れ、計5,000人の孤児を救った長崎の知られざる偉人、岩永マキの足跡を訪ねる。前田真里長崎平和支局長のリポート。…そしてニューズ・オプエドは4周年。(2018/06/01)

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読むオプエド Vol.087

500人を養子として受け入れ、計5,000人の孤
児を救った長崎の知られざる偉人、岩永マキの
足跡を訪ねる。前田真里長崎平和支局長のリポ
ート。…そしてニューズ・オプエドは4周年。

2018/06/01

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久しぶりに東京のスタジオに出演の前田真里長崎平和支局長が、地元長崎で孤児院を設立して多くの孤児たちを救った隠れた偉人、岩永マキさんについてリポートしました。もうひとりのゲストはフォトグラファーの桐島ローランドさん、レギュラー陣は乃木涼介アンカー、川島ノリコアシスタント、上杉隆プロデューサーです。

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【川島ノリコアシスタント】
長崎平和支局長の前田真里さんに長崎のリポートをしていただきます。よろしくおねがいします。

【前田真里支局長】
今地元長崎に住んでいて、浦上という地区なんですけど、浦上天主堂があったりして、カトリックの文化に今も根ざしてるんですね。その中で色々リサーチしていたら、歴史上の人物、偉人なんですけど、なかなか福祉業界以外の方には馴染みがないすごい女性をリポートしたいと思います。

その方の名前は岩永マキさんと言うのですが、浦上出身で1849年生まれ。明治7年に日本で初めて孤児院を作って、自分の戸籍に500人以上の養子、養女を受け入れて、全部で5,000人以上受け入れてるんです。

どういったところで生まれたのかということで、今回墓地だとか、生まれたところを遡って歩いてみました。浦上天主堂から2キロぐらいに辻町というところがあるんですが、こうらんば墓地からスタートして、浦上養育院、十字修道院…このあたりが「マキの小部屋」と言われていたらしいのですが、子どもたちを受け入れていたところです。

じゃあなんでそんなにたくさん、5,000人という子どもたちが孤児になったのかと言うと、明治7年に大きな台風の災害があって、藁葺き屋根の時代なので壊滅的な被害を受けてしまい、衛生状態も悪くなって、赤痢・コレラなどの病気が蔓延し、多くの人が亡くなってしまったからなんです。

ド・ロ神父という方をご存知でしょうか?当時長崎に西洋医学を伝えた方で、当時日本で赤痢・コレラで4割以上の人たちが亡くなってたんですが、ド・ロ神父から教わった西洋医学のおかげでかなり感染率を抑えることができたんです。


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