「危険な紛争地に派遣されても、この仕事に携わる喜びと誇りがあるので、恐怖心が先に立つことはない」…国境なき医師団で活躍する看護師の白川優子氏に、その活動の現場を訊く(2018/05/31)

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読むオプエド Vol.086

「危険な紛争地に派遣されても、この仕事に携
わる喜びと誇りがあるので、恐怖心が先に立つ
ことはない」…国境なき医師団で活躍する看護
師の白川優子氏に、その活動の現場を訊く

2018/05/31

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ゲストに国境なき医師団 手術室看護師の白川優子(しらかわ・ゆうこ)さんをお迎えし、これまで携わってきた活動についてお話を伺いました。レギュラー陣は蟹瀬誠一アンカー、義山望アシスタント、上杉隆プロデューサーです。

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【義山望アシスタント】
白川さんがこれまで取り組んできた紛争地での医療活動と、国境なき医師団について伺います。白川さんが医療に携わることになったきっかけはどういうものだったんでしょうか?

【白川優子氏】
高校3年の時「自分は看護師になりたい」思って、そこからは看護学校に通って資格を取りました。日本では3つの医療機関で7年間ぐらい活動をしていました。

【義山アシスタント】
そこからどのようにして国境なき医師団に入ったのでしょうか?

【白川氏】
国境なき医師団については7歳の時に知ったのですが、それ以来私にとっては憧れであり、尊敬する団体だったんです。99年に国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞したんですね。そこから具体的な行動を開始したんですが、まず英語かフランス語ができないと入れないということだったので、そこから英語の勉強を始めて、すごく大変だったのですが、結果的にはオーストラリアに留学しました。そして更にオーストラリアで看護師の経験を4年積んで、「英語で看護の活動ができる」となったときには36歳になっていました。…今から8年前ですね。

【蟹瀬誠一アンカー】
とにかく「国境なき医師団に入りたい」という一念だったんですね。

【白川氏】
そうですね、7歳の時に知って、30年ぐらい思いは変わらず…2010年にその門を叩きました。以来その活動を続けています。

【上杉隆プロデューサー】
国境なき医師団は多くの方が亡くなっているじゃないですか。その部分は恐怖と言うか、怖いという気持ちはなかったんですか?

【白川氏】
7歳の頃から尊敬していた団体でしたから、国境なき医師団で活動できるという誇り、喜びのほうが先にくるので、不安とか葛藤が先に来ることはないですね。

【蟹瀬アンカー】
最初の現場ってどこだったんですか?

【白川氏】
私はスリランカでした。私は戦争直後に入って、戦後の復興という形で入りました。

【蟹瀬アンカー】
最初の現場ってすごく印象が強いと思うのですが、どうだったですか?

【白川氏】
私は一応オーストラリアの病院の籍を「いつでも戻っておいで」と言われていたので残していたのですが、その籍をスリランカにいながら抜きました。私は国境なき医師団でやっていくんだと、決められた派遣でしたね。

【義山アシスタント】
紛争の現場で医療に携わることの難しさってどんなところですか?

【白川氏】
私達国境なき医師団は「医療がないところに医療を届ける」という活動をしているので、思いだけではいけなくて、大前提となるのはセキュリティ管理が必要なこと…そこが難しいところですね。個人レベルでは、紛争地には大勢の人間は送れないので、一人にかかる負担が大きくなってくる、すると自分の専門分野でなくてもやらざるを得ないということがでてきてしまって、私は36歳で入って、いろんな医療の現場を経験していたので、そのことが現場で役に立ってよかったなあと思いました。

【蟹瀬アンカー】
国境なき医師団と言うと、銃弾が飛んでいるところや地震があったようなところにいくイメージがあるんですけど、アフリカのエボラ熱なんかは、あれは本当に怖い現場だと思うんですよね。感染したらほぼ確実に死んでしまうという病気ですから、そういう恐怖というのはどうなんですか?


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